そして、アイスコーヒー
今日は流石にアイスコーヒーを飲もう。
ここ数日天気が良く、最高気温が軒並み20度以上を記録していて、汗ばむどころかTシャツも透けて大変なことに……とは言い過ぎだけど、それほど暑さに参っている。
北国生まれの北国育ちにとってはすでに夏本番の様相を呈している、と感じているのは僕だけか。
若い頃は暑くなればテンションも上がり、わけもなく嬉しくなったものだけれど、この歳になると暑すぎるのはちょいと身構えてしまう。
体力が想像以上に奪われてしまうからだ。
かといって寒いのも困りもので、体が冷えてしまえば、それはそれで様々な体の機能が大変なことになってしまう。
季節の移り変わり目の体調管理が非常に難しいのだ。
先日はホットコーヒーを注文して大失敗だった。
この日もとても暑かったのだが、カフェに入店したのが午後の5時過ぎだったので、若干気温も下がり、体を冷やしてはならぬと迷った挙句にホットを注文したのだった。
完全に裏目にでた。
それこそ飲めば飲むほど汗が吹き出し、下着が肌にべたりと張り付いて不快極まりない。
極上のカフェタイムに癒されるどころか、何かの罰ゲームを受けているようだった。
そして、今日。
いつも立ち寄るカフェでアイスコーヒーを飲んでいる。
ストローを通して喉に入ってくるそれは、とても爽やかでとても心地よい。
暑さに熱った体が着実に冷えていくのを感じる。
さて、どうなることやら。
旅する北極星
そんな驚愕の事実を最近読んだ小説で知った。
鼻水を垂らしていた小僧時代も、体のあっちこっちが油切れになって、ベットから起き上がるのも一苦労な現在も、そして想像したら気絶してしまいそうになる、未来も。
でもそうじゃないらしい。
地球の自転軸が月や太陽の引力の影響で、約26000年の周期で行われる首振り運動によって向きを変え、そいつが原因で自転軸の延長上にある北極星の位置が変わるそうなのだ。
残念ながら超理系音痴の僕には完全に理解、説明などできないが、そもそも北極星が変わるなんて認識がなかったから、これには素直に驚いた。
当たり前だと考えていたことが、実はそうではない。
今まで盲目的に信じてきたことも、どうやら真実は違う。
歳ばかり無駄に重ねてしまっていた僕は、ハンマーでガツンと頭を叩かれたような衝撃を覚えて、既成概念に凝り固まっていた現状に少しばかり反省した。
でも、不快ではなかった。
寧ろ、心地よいというか嬉しくなった。
知らなかったことを生きているうちに知れたのだから。
どうやら僕らが生きている時代は北極星は変わらない。
旅のお供はポラリスということで。
遊びの魔力
40数年、それなりに山も谷も経験してきた中で、幾つかの大切な事を学び、そして今もなを、まだまだ知らないことが沢山あるものだなと日々痛感している。
「死ぬまでが学び」と昔の偉人が言ったかどうかはさておき、少なくとも知ったふりをするような生き方だけはしないようにと心掛けてきたつもりだ。
僕がそう思っているだけで周りの評価は謎だが……
そんな中、なんとなくだが分かりかけてきたことも少なからず有る。
その一つが気負い過ぎないこと。
かっこ良く表現すれば『遊びの魔力』となる。
僕は真面目だ。
「何を自分で」とツッコミが聞こえてきそうだが、何事にも必要以上に真面目になってしまう傾向が強い。
例えば朝のルーティン。
やるべき事の順番は、それが前後しようとさして気にはならないのだが、決めた時間までに全ての作業を終えないとなんとなく居心地が悪くなる。
最悪、イライラしてしまい、自分だけならまだしも、家族にも悪影響を与えてしまい自己嫌悪に陥ってしまう。
自分でも嫌になるのだが僕は『時間』に対してあまりにも厳格すぎるらしい。
時間を厳守することは悪いことではないと思う。
特に日本人は諸外国から比べれはその傾向が強いだろう。
でもね、それは時と場合による。
遅刻をするかしないかの瀬戸際ならともかく、歯磨きをする時間が5分遅れたとしてもたいして問題にはならない。他の作業で取り返すことは十分可能だし、そもそも時間にうるさい僕は不測の事態に備て早めの行動を心がけている。
冷静に考えれば焦ることなど全く必要ないのだ。
それでもこんな有様なのだから始末が悪い。
そこで登場するのが『遊びの魔力』だ。
僕は時間を守る以上に遊ぶことが好きだ。遊ぶために働いていると言っても過言ではない。
ギターを弾くのも然り、家族とのドライブも、全ての遊びが大好きで、とことん真面目に遊んでいる。
不思議なことに真面目に遊んでいる時はいい具合に肩の力が抜けているのだろう、さして時間のことは気にならない。それどころか時間を忘れて遊んでいるのだ。
これを利用しない手はない。
朝のルーティンも仕事も、なんでもかんでも遊んでしまえ!
と半ばやけくそに考え、ほとんど見切り発車で実行に移したのであった。
普段から考え過ぎたり悩んだりしすぎる傾向があったので、『遊び』という劇薬を加えることで精神が中和されたのか、この方法に気づいてからは幾分か気持ちにも余裕が出てきたような気がする。
今では黄色信号が点灯した時点で劇薬を投入する技を会得した。
伊達に歳を取ってはいない。
これからの課題は無闇に劇薬を注入しないことだ。
他人様に迷惑をかけてしまうことは良くないことだから……
奥深き世界
今月号のヤングギター誌はランディ・ローズの大特集で、ランディファンのみならず、後追いファンの僕みたいな者も十二分に楽しめた。
よって今月は、ランディ漬けの毎日かなと思いきや、なんとスコアコーナーに、MOUNTAINの『Mississippi Queen』が掲載されているではありませんか。
ランディ漬けとは言っても、僕程度の技術では手に負えないのが現実で、単純に全編を通して弾けるか弾けないかで判断するならば、ランディ・ローズよりもレスリー・ウェストなわけで、ましてや大好きな曲でもある『Mississippi Queen』を弾かない手はない。
いとも簡単に心変わりした僕は、早速コピーに取り組むべく相棒のレスポールを手にしたのだった。
この曲、難易度も初心者マークで演奏時間も2:31と短く、ただ単純に弾くだけならばそう難しくはない。
レパートリーの一曲に加えておけば何かと重宝するだろう。
でもね、ことはそんな単純な話ではない。
シンプルであればあるほどプレイヤーの技量が試される気がしてならない。
僕個人のことで言えば、チョーキングの時間であったりヴィブラートの掛け方。ミュートにグリス・ダウンと、言わば基本プレイのオンパレードであり、だからこそしっかりとした技術を身につけていないと、雑音混じりのただ煩いだけの音楽擬きになってしまう。
正に僕のプレイがそれで、そりゃまぁ酷かった。
もうそうなれば笑うしかなく、レスリー・ウェストの偉大さに改めて感服した次第なのだった。
速弾きもいいが、今一度『基本』、そして『表現力』とはなんたるかを肝に銘じながらギターと付き合っていこうかと感じた今日この頃であった。
腹へった
我が家の窓から覗く空模様は生憎の曇天で、春の訪れは当分先かなと、思わずため息を漏らしてしまう。
今時期の北海道は、晴れたり雪が降ったり、日中は汗ばむほどの陽気になったかと思えば、夜は氷点下まで下がったりと、暖房器具の活躍はまだまだ続く。
8年前に大病を患い、お陰様で現在は完治したものの、手術をし、臓器の一部を切除した影響のためか、めっきり寒暖の差に弱くなってしまった。
特に、季節の移り変わりめが鬼門で、手術後の1、2年は体調を崩し頻繁に寝込んでいたように思う。
あの頃から比べると、若かりし時代の体力には到底及ばないものの、だいぶ回復してきた。
腰が痛い。
頭がジンジンする。
はらへった……。
戯言の一つでもこぼせれる様になったのだから、人生は上々だ。
明日は晴れることを期待して、そろそろ晩ごはんにしよう。
4弦、切れる
驚いた。
いつもの様に気持ちよく良く、ジミー・ペイジにでもなった気分でギターを弾いていたら、4弦が切れた。
ぶっちっと呆気なく、それでいて、左手人差し指をデコピンされたかのような、思はず「あっ」と間抜けな声を漏らしてしまいそうになる衝撃が僕を襲う。
ギターの弦は消耗品であり、弾き続けていれば必ずいつかは切れる。
優秀なギタリストであれば定期的に交換するので、弾きながら切れるという情けない現象は免れるのだが、僕みたいなけちなギタリストは弦を購入するお金がもったいなく、交換するのはライブ前、その他は切れるまで弾き続ける、がモットーなので、切れたこと自体はさして驚きはしていない。
驚いたのは、切れた弦が4弦だったからだ。
通常は細い弦、即ち、1弦が最も切れやすい。
切れる弦の8か9割は1弦であり、ごく稀に2弦が切れるという状況だ。
3弦が切れた記憶もほとんどなく、4弦が切れたのは、『弾きながら』という条件のもとでは初めてのことではないだろうか。
ギターを弾き始めた20数年前。弦の交換に不慣れだった僕はチューニングの仕方がよく分からず、ペグを巻きすぎては、ぶっちんと弦を切っていた。4弦どころか、5弦、6弦も同じようにぶちんとやっていた。
全ての弦を交換するのに2、3セットを使用していたものだ。
もしかしたら4弦が切れたのは、ギターを弾くことでしか自分を表現できなかったころ以来の出来事かもしれない。
そう考えると4弦が切れた事実は、僕に弦が切れたこと以上のメッセージを投げかけているのかもしれない。
それは一体なんなのか?
考えるほどに全身がこちょばくなるので、考えないことにする。
悪魔の手触り
どうも今朝は寝起きから体の調子が悪い。
正確には昨晩の夕食時から鼻水がダラダラ溢れ出す兆候があった。勿論、薬を飲み、早めの就寝を実行するなど風邪対策は抜かりなく行った。
それでも、朝起きたらこれだ。
誤解の無いように記すると、昨晩の鼻水は現在、治まっている。多少、鼻の奥でヒリヒリと違和感は残っているが、鼻炎持ちの身としては通常運行だ。
辛いのは頭痛だ。
また頭痛か。と、自分でも呆れるくらいよく頭痛に見舞われる。
たまったものじゃない。
痛み止めのを服用し、今は痛みが若干治まっているので、その隙をつきこの記事を書いているのだが、痛みが襲ってくるかと思うと気が気でない。
しかも、今回の痛みはこれまでの痛みと質が違う。
通常は頭の中がガンガンと、まるで何者かが巨大な鉄のハンマーで、一生分の憎悪を叩きつけてくるかの様な痛みなのだが、今回のそれは、右顳顬がヒリヒリと、悪魔が獲物を仕留める前に、獲物の鮮度を入念に探るような手触りの、なんとも言えない不気味な痛みなのだ。
右顳顬に悪魔が不敵な笑みを浮かべて張り付いている感覚。
このような痛みは過去を遡ってもあまり記憶がない。
熱はなく、不調なのはこの悪魔の手触りだけだ。
これ以上、考えることはよそう。
休むことが一番の薬だ。無理はよくない。
今日はここまで。
おやすみなさい。